エッセイ / 「真理」と「合意」という二つの地図について
正解を求める科学と、納得を編む政治のあいだで
政治と科学。一見すると、正反対の場所に位置しているように見えます。一方は社会的な合意を形成し、もう一方は客観的な真理を追究する。しかし、どちらも「この世界をどう捉え、どう制御するか」というための共通の枠組みを作ろうとしている点では、似ているのかもしれません。
科学の領域では、もともと再現性と客観性が重視されます。ある発見がなされ、それが検証され、定説となる。その積み重ねが強固な基盤となり、次のステップへと進む。そこにあるのは、誰がいつ見ても変わらない「正解」への、誠実で飽くなき追求です。
対して、私の扱う政治という分野は、唯一の正解がない場所で「納得」を編む作業です。制度や政策は、ある時点での妥協や、過去のしがらみ、あるいは当時の切実な事情が幾重にも積み重なって形作られています。もともとこうだったという経緯があり、それが時代に合わせて少しずつ形を変えてきた。これまで積み上げられた文脈を無視して、ある日突然「これが論理的な正解だから」と提示しても、社会は簡単には動きません。
時に、科学が見出した真理が、政治の制度を追い越してしまう瞬間があります。専門的な知見が先行し、社会の仕組みがそれに追いつけない。そんなとき、私はもどかしさを感じます。論理的な正解が目の前にあるのに、それを制度に落とし込むには、また気の遠くなるような調整と、納得の時間を丁寧に辿らなければならないからです。それでも、その不器用な積み重ねこそが、人間が共に生きるための作法なのだと思います。
正解があることと、納得できることは、別の話なのかもしれません。あなたにとって、心地よいのはどちらの地図でしょうか。
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