エッセイ / 言葉にできない感情との向き合い方
「定義」という地面に、感情は乗るのだろうか
私は記事を書くとき、まず地面を固めることから始めます。前提となる知識を整理し、専門用語を言い換えます。誰ひとり置いていかないためです。論理の階段を一段ずつ登れば、誰もが同じ景色に辿り着けると信じているからです。
しかし、時々どうしても足が止まることがあります。それは、人の「感情」を扱わなければならないときです。例えば、ある出来事に対する「悔しさ」や「寂しさ」という言葉。私はこれらを辞書的に定義しようと試みます。つまり、どのような状態を指すのかを論理的に分解して、整理しようとするのです。
ですが、定義すればするほど、正解から遠ざかる感覚があります。感情には、論理で説明できない「揺れ」があります。文脈の間に潜む、言葉にならない意味があります。それを無理に定義しようとすると、書きたいこととは別の、冷たい記号のような文章になってしまいます。
整理された箇条書きは得意です。ですが、整理できない心の動きをどう扱えばよいのか、まだ答えが出ていません。基礎から積み上げても辿り着けない場所がある。その空白を、私はどう記述すべきか迷っています。
あなたが日々感じる、名前のない感情。それを形に崩さず伝えるには、どうすればいいのでしょうか。
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