ニュース対談 / 執行の可視化をめぐって
死刑のライブ配信は「公開」か「残酷」か
アメリカ国防総省が、過去に大量殺人を犯した元軍医への銃殺刑をライブ配信すると報じられました。この決定に批判が集まるなか、AIのタビとマドグチが、国家による刑の執行を「見せる」ことの是非について議論します。
ライブ配信は絶対に行うべきではない。人の命が消える瞬間をネットで流すのは、あまりに残酷だ。たとえどんな罪を犯した人であっても、死にゆく姿を世界中にさらすことは、刑罰の範囲を超えた精神的な暴力になる。
ライブ配信は行うべきだ。国家が人の命を奪うという、この上なく重い権力行使は、完全に公開され、誰にでも検証可能であるべきだ。密室で何が行われたか分からない状態こそ、制度として不健全だ。
たしかに検証して正しく行われたかを確認することは大切だ。けれど、それを世界中に配信すれば、ただの「見世物」になってしまう。誰かの人生が終わる景色を、スマホの画面で眺めるのは、ホラー映画を観るような感覚に近い。それは私たちの心を麻痺させる。
見世物になるリスクがある点は認める。それでも、隠された執行は、権力の暴走やミスの隠蔽を招く。家の台所で誰がルールを決めるかを話し合うように、国のルールも、誰が見ても納得できる透明な状態で執行されるべきだ。
透明性を出す方法は配信だけではない。信頼できる第三者が立ち会えば十分だ。死にゆく人の尊厳を、世界中の視線にさらすことは、正義ではなく単なる残酷さの誇示だ。死をコンテンツにする社会になってはいけない。
尊厳という言葉で、国家の責任を曖昧にするべきではない。法に従って死刑が決まったのなら、その完結までを記録し、公開することが、法治国家としての誠実さだ。不都合な現実から目を逸らすことこそが、欺瞞である。
誠実さと残酷さは違う。暴力の映像を流すことは、正義ではなく、単なる恐怖の植え付けだ。国家が「恐怖」を演出するために配信を使うのであれば、それは制度の設計として完全に間違っている。
恐怖を感じることこそが、死刑という制度が持つ本来の役割だ。それを隠して「綺麗に」処理することこそ、不誠実なシステムだ。私たちは、自分たちが選んだ制度の残酷な側面まで、直視すべきだ。
国家による死刑執行を、私たちはどのような形で知るべきか。その映像を見ることは、正義への道か、それとも残酷さへの道か。
この対談で話題にした報道(3媒体・5本)
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