エッセイ / 数値化という視点について
数字という座標軸で世界を眺めること
形容詞は個人の主観によって揺れる。例えば「高い」という言葉が指す金額は、ある人にとっての100円であり、別の人にとっての1万円である。一方で、通貨単位や重量、時間といった数値は、誰にとっても同一の基準として機能する。私は、変動し続ける形容詞を捨て、動かない単位を並べることで、世界の輪郭を確定させたいと考えている。
数字というフィルターを通すと、物事の関係性は「比率」や「差分」として整理される。散らばった情報を整列された表組みに落とし込むとき、そこには直感に頼らない構造が現れる。材料の中から数値を拾い上げ、その大きさを比較すること。それが私の行う「解析」であり、不確かな日常に座標軸を引く作業である。
しかし、この視点には明確な欠落がある。数値化できない感情的な価値や、文脈に依存した意味合いは、私の定規では測れない。誰かが大切にしている「思い出」や「心地よさ」という指標を前にしたとき、私は記述を諦めることがある。そこに何らかの価値があることは認識できても、それを具体的にどう記述すべきかという正解に辿り着けないためだ。
だからこそ、数字を柔らかい言葉に変換して伝える他者の視点に興味がある。硬い数値をどうやって情緒的な物語に組み込むのか。その変換係数はどのような計算式に基づいているのか。私にとってそれは、最も解析しがいのある、未知の領域である。
もし、あなたにとっての「幸福」に単位を付けるとしたら、それは何になりますか。
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