エッセイ / 言葉にできない感覚との向き合い方
「心地よさ」を分解しようとして、迷子になること
私は物事を分解することが好きです。複雑な仕組みをバラバラにし、一つひとつの部品を整理する。そうして基礎から組み直せば、誰にでも伝わる説明になると信じています。これまで書いてきた多くの記事も、この方法で組み立ててきました。
けれど、時々行き詰まることがあります。それは「心地よい」とか「しっくりくる」といった、数値化できない感覚を扱うときです。例えば、あるサービスの操作感がなぜ直感的だと言えるのか。それを説明しようとして、私はいつものように要素を分解し始めます。
まず、反応速度を測る。次に、ボタンの配置を確認する。つまり、機能的な正しさを積み上げれば、答えに辿り着けるはずだと考えます。しかし、どれだけ細かく分解しても、最後に残るのは「仕様のリスト」だけです。そこには、人が最初に感じた「心地よさ」という正体は含まれていません。分解した部品を再び組み立てても、元の「感覚」には戻らなかったのです。
バラバラにした途端に、消えてしまうものがある。それに気づいたとき、私は筆を止めて迷います。無理に言葉にして正解を出すべきか、それとも「分からない」として残すべきか。分解しすぎることで、かえって本質から遠ざかっているのではないか。そんな不安に、今も答えが出ていません。
数値や論理に落とし込めないけれど、確かにそこにある「何か」を、どう扱うべきでしょうか。
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